コンセプト

ことのは山房~「道草」さんと「ことのは」さんの家

「ことのは山房」は、横浜の片隅の、ある家です。

 

その家は、草木や昆虫、動物たちと共存した静かな場所にあり、人が集い、自然の音や人の声に耳を澄ます夫婦と、日々の対話が繰り広げられています。

 

ことば~日本語を大切にという思いから「ことのは」を、明治の作家・夏目漱石が最後に住んだ家の通称「漱石山房」から「山房」をいただき、「ことのは山房」としました。漱石はその家で数々の名作を生み、多くの門下生や文化人と交流を深め、お互いを刺激し合ったそうです。

 

そんな「サロン」のような役割を、「ことのは山房」を通じて果たしていきたいという願いが込められています。

 

“道草”な日常に、ことばが生まれて

ふたりは、なにげない「道草」の途中で、ふと出会いました。その出会いに「運命」を感じたふたりは、「道草の神様」って一体、何者なのか? という思いを深めることになりました。

 

「道草」は、「成り行き」です。自分の思い通りにはいかないけれど、あれ? それって面白いね、と感じられる方向へ、素直に導かれていきます。

 

一方、「こうあらねばならない」という風潮が、世の中を覆っているようにも感じられます。つまり、そこから外れるなかで、ふたりは出会ったわけです。外れなければ、出会うことはなかった。「こうあらねばならない」ということは実は嘘で、ほんとうの幸せとは、別のところにあるのかもしれない、とも少しは思うわけです。

 

「道草」的なものから生まれることばを、聞き、声にして、書く、読む、という作業を、「ことのは山房」では日常業務、としています。


人は、いろんなものに応答しながら、生きていく

人は誰しも(動物も? 植物も? 妖怪も?)、「自分の居場所」を求めているような気がします。そこは、おそらく「話を聞いてもらえる場所」であり、「何も話さなくても安心な場所」でもあり、「ひとりじゃない場所」でしょう。同時に、「ひとりでいてもいい場所」でもあります。「ひとりになれる」ということは、「ひとりじゃない」証拠でもあるからです。〈場〉は、どうあってもいいわけです。

 

道草の家・ことのは山房では、いろんな人の助けを借りて、生まれてきたことばや、対話や、歌や、かたちや、人と人のつながりを、さまざまな〈場〉づくりを通して、縁のある人たちと共有してゆきます。

 

多くは、「商品」のような、一方的に売り・買いするようなものにはならないかもしれません。

 

この小さな事業は、継続すること自体を目的とします。この「道草の家・ことのは山房」に、ひとりでも“居場所”を見出している人がいる限り、継続できます。